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甲府地方裁判所 昭和30年(ワ)215号 判決

原告 甲府市

被告 斎藤進

主文

原告は被告に対し、原被告間の昭和二十六年五月二日甲府地方法務局所属公証人松川正光作成第四万四千五百七十七号売買契約公正証書に基く甲府市御岳町(旧山梨県中巨摩郡宮本村大字御岳)字舞台第三千二百八十八番、同町字赤松平第三千二百八十九番地の一、同町字室ケ平第三千二百九十番及び同町字後ケ平第三千二百九十三番地の面積二千五百六十三ヘクタールに亘る原告所有の水道水源涵養林内に生立する針葉樹、濶葉樹の損、傷、老廃その他伐期到来した立木の幹部材積五十万石の引渡義務が存在しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、原告は被告に対し昭和二十六年五月二日甲府地方法務局所属公証人松川正光作成第四万四千五百七十七号売買契約公正証書(以下単に本件公正証書と略称する)を以て、同年二月十四日に開かれた同年一月定例甲府市議会の議決を得たものとして、同年二月十六日原告所有の甲府市御岳町(旧山梨県中巨摩郡宮本村大字御岳)字舞台第三千二百八十八番、同町字赤松平第三千二百八十九番の一、同町字室ケ平第三千二百九十番及び同町字後ケ平第三千二百九十三番以上面積二千五百六十三ヘクタールに亘る甲府市所有水道水源涵養林内に生立する針葉樹及び濶葉樹の損、傷、老廃その他伐期到来する立木の幹部材積五十万石(以下単に本件立木と略称する)を代金一千万円にて売渡す旨の契約をした。(一)然しながら右公正証書に基く売買契約は契約当事者たる原被告とも真実に契約を締結する意図を有せず通謀してなした虚偽の意思表示に基くものであるから無効である。(二)仮りに右(一)の主張が理由がないとしても原告の基本財産たる本件立木の売却処分については甲府市議会において払下を承認する議決を必要とするところ前記売買契約にはかゝる議決は存しない。従つて該契約は原告の執行機関である前市長山本達雄が甲府市議会の議決を得ずになした財産処分であるから市長の権限外の行為によるもので無効である。かように本件公正証書に基く立木の売買契約は何れの点よりするも無効であるのに、被告は右契約の有効なることを前提として昭和三十年十月二十一日附内容証明郵便をもつて原告及び甲府市議会に対し契約不履行による違約金二千万円の他損害賠償債権を有すること並びに本件立木につき強制執行をなす旨を通告し又報道機関等に対しては仮処分決定を得て原告の本件立木の伐採を禁止するか、或は被告において実力によりこれが伐採をなすとか宣伝につとめている。よつて原告は被告に対し前記売買契約に基く本件立木の引渡義務が存在しないことの確認を求めるため本訴請求に及んだと陳述し、被告主張事実は否認すると述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中被告が原告より本件公正証書に基き原告主張の如き各日時に甲府市議会の議決を得て本件立木をその主張のような約旨で買受けることを契約したことは認めるがその余の事実は否認する。(一)被告は原告の代表者であつた前市長山本達雄と本件立木の払下に関し慎重に折衡を重ねた結果、本件立木の払下処分は市長の財産管理権の範囲内でなし得る見解の下に昭和二十五年十二月十三日先づ原被告間に本件立木売買の仮契約を締結し、次いで同年十二月二十六日第一次の公正証書を作成したところ昭和二十六年二月十四日の定例甲府市議会において本件立木払下げの議決がなされたので同議決に基き更に本件公正証書を作成し且つ被告は原告に対し右売買代金一千万円の内金百万円を保証金として提供して契約締結の完璧を期したものであるから該契約は真実なる意思表示によつて締結されたものである。(二)又原告は本件立木の売買契約には甲府市議会の議決を得ていないと主張するけれども、(イ)本件立木の売却処分は市長が財産管理権に基いてなし得るものであるから市議会の議決を必要としない。何となれば本件立木の売買は奥御岳の原告所有水道水源涵養林の損、傷、老廃、その他伐期の到来した立木を対象に払下げるもので、これら立木を現況のまゝ放置するときは腐朽して立木としての価値を減少すると共に水源涵養の目的を阻害するに至るから市長は地方自治法第百四十九条第三号に則り本件立木を然るべく管理する責務を有するのである。(ロ)仮に本件立木の売却処分が市長の財産管理権の範囲外であつて市議会の議決を要するとしても、同議会の議決を経たものである。即ち、被告は甲府市議会議員野村太郎、同松野昇両名の紹介により同市議会に対し本件立木払下げに関する請願書を提出したところ同議会はこれを水道部責任委員会及び請願特別委員会に付託しその請願採択を得た上昭和二十六年二月十四日の定例市議会本会議に付議して満場一致を以て右請願を可決したのである。従つて右議決は地方自治法第九十六条に所謂議決と解せられるから本件立木の売買契約は右本会議の可決に基き有効に成立したものである。たとえその払下代金額の点において甲府市条例に従い同市議会の議決を要するものとしても右条例の規定は執行機関たる市長と意思決定機関たる市議会との地方自治団体機関内部の関係に過ぎないから本件につきこれが議決を欠いたとしてもそれは市長が条例違反の責任を負うことは格別として、右違反を以て取引の相手方たる払下を受くべき者をも拘束するものでないから右条例による議決の欠缺は本件立木の売買契約の効力に何らの影響を及ぼすものではない。と述ベた。〈立証省略〉

理由

原告が被告に対し本件公正証書に依り昭和二十六年二月十四日の同年一月定例市議会本会議の議決を得たものとして、同年二月十六日附で原告所有の本件立木を金一千万円で売渡す旨を契約したことは当事者間に争がない。

しかるところ原告は右契約は通謀による虚偽の意思表示に基いてなされたものである旨主張し、証人山本達雄(第一、二回)の証言中には稍これに沿う如き供述も存するけれども同証人の証言を仔細に検討し且つ後記証拠に照すときは右供述部分はにわかに信用することができないし、その他成立に争のない乙第三号証の一、二及び成文及び原本の存在について争のない乙第五号証を以てするも未だ右主張事実を肯認することができない。むしろ、証人山本達雄(第二回)の証言及び被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第四号証、成立に争ない甲第三、同第四同第六号証、乙第一、同第五(前出)、同第九、同第十号証及び証人山本達雄(第一、二回とも各一部)、同加藤欣蔵、同松川正光、同土橋健一(一部)の各証言並びに被告本人尋問の結果(一部)を綜合すると、本件公正証書作成の経過は、被告は昭和二十五年秋頃より訴外野口二郎、同土橋健一等の斡旋で、奥御岳の綜合開発を計画していた当時の甲府市長訴外山本達雄との間に本件立木の払下に関する交渉を重ねた上、訴外日本石英工業株式会社と共に同年十一月二十四日附請願書を以て甲府市議会に対し奥御岳水源涵養林払下の請願をなし、他方では被告が奥御岳綜合開発に支援することを条件に同市長と被告との間に同年十二月十三日原告を売主、被告を買主として、本件立木を一石当り金二十円の割合による総額金一千万円をもつて売買すべき旨及び被告は原告に対し本件立木搬出のため被告の費用を以て設置する林道(御岳町猫坂より水晶峠に至る延長二十一粁六十米、巾員三米六糎)を観光並びに奥地開発のため無償で寄贈する旨の仮契約を締結し公証人の認証ある仮契約証(乙第四号証)を作成するに至つたが右仮契約の有効期限が迫つても右請願の採択がないので被告は訴外山本と謀り市長の財産管理権で本件立木の払下をすることとし同年十二月二十六日第四万三千三百九十三号売買契約公正証書(乙第九号証)を以て右仮契約を本契約に改めたところ、訴外山本は既に被告から市議会に対して奥御岳立木払下の請願がなされているにもかかわらず右請願を無視し市長の財産管理権に基いて右契約を締結したことを憂慮し翌二十六年一月十二日第四万三千六百一号契約解除公正証書(乙第十号証)により前記契約を合意解除した。ところが被告は訴外日本石英工業株式会社とともに更に同年二月五日附で同市議会に対し立木払下の請願をなし、右請願は同年二月十四日の甲府定例市議会本会議において「願意妥当なるもこれが払下に当つては特定の業者に払下をなし過根を将来に残すが事なき様厳正な執行をせられたし」との条件を附して採択され、その書類は市長山本に送付された。そこで訴外山本は本件立木を被告個人に払下げることは甲府市民の疑惑を招く結果を来さないとも限らないのでこれを避けるため被告において株式会社を設立し、同会社に本件立木を払下げることを市議会で承認した場合には被告の権利をこれに譲渡するとの条項を前記仮契約の約旨に附加し、なお、右請願の採択を払下の議決と解して本件公正証書(甲第三号証)を作成したものであること。その後被告は右公正証書により会社設立の賃金獲得に奔走し、訴外山本も奥地開発株式会社の設立計画案を樹立しこれに本件立木の払下承認方を市議会に求めたところ同年八月三日同市議会本会議で一応の可決をみたのであるが、翌二十八年二月二十三日市長の更迭その他の事情で右会社の設立を見るに至らなかつたものであることを窺知することができる。他に以上の認定を覆し原告の主張事実を認め得る証拠はないから本件公正証書に基く契約をもつて通謀虚偽表示に基くものであるとの原告主張は理由がない。

次に原告は本件公正証書に基く契約は甲府市議会の議決を経ないから無効であると主張するのでこの点について判断する。先づ本件契約の締結が議会の議決を必要とするか否かにつき考えるに地方自治法第九十六条第一項の規定によれば「基本財産又は減債基金その他積立金穀等の設置、管理及び処分に関すること」(第六号)、「条例で定める財産の取得又は処分及び営造物の設置又は処分をすること」(第七号)、「条例で定める契約を結ぶこと」(第九号)はいずれも議会の議決を要する事項とされており又昭和二十四年二月二日甲府市条例第五号議会の議決又は住民の一般投票に付すべき財産営造物又は議会の議決に付すべき契約に関する条例第二条第二項十四によれば森林の処分については地方自治法第九十六条第一項第七号により議会の議決を経なければならないものとされている。しかして右条例にいう森林の意味は右条例の定めが地方自治法第九十六条第一項第七号に基くことからみて基本財産としての森林のみならずその産出物である立木をも含むものと解するのが相当である。又同条例第三条第三号第四条第三号に依れば予定価格拾五万円以上の動産の売却を目的とする契約は同法第一項第九号に依り之亦議会の議決を必要とする旨を規定している。もとより公共団体の長である市長は財産及び営造物を管理する権限は之を有するけれども、財産の管理とはその財産の移転又は消滅を生ずることなく単にその性質を変更しない範囲において使用収益し維持改良し又は時効を中断する等の事実上及び法律上の行為を云うのであつて処分行為を包含しないことは勿論である。前掲条例第三条第三号及び第四条第三号の反面から予定価格金拾五万円未満の動産の売却に関する契約については市長において之を専決し得るものと解せられるけれどもそれ以外に動産の処分行為につき市長の専決を認めた条例の規定は存しないところで、本件立木売買契約は、損、傷、老廃、その他伐期到来した立木を対象とするとは謂え面積二千五百六十三ヘクタールに亘る森林中五十万石の立木の処分であるから右条例第二条第二項、十四に該当する他、契約代金も一千万円に及ぶのであるから何れにしても市議会の議決を要すべきことは明らかであつて市長の専決処分でなし得ないことは謂うまでもない。

進んで、本件公正証書に基く売買契約が市議会の議決を得たか否かの点につき審究するに、昭和二十六年二月十四日の甲府定例市議会本会議において被告及び訴外日本石英工業株式会社が共願人として提出した請願書が条件附で採択されその書類が右議会より当時の市長山本に送付されたことは前認定のとおりである。しかして、被告は右請願の採択を捉えて本件立木の払下につき市議会の議決があつた旨主張するのであるが、そもそも請願とは国又は地方公共団体の議会に単に希望を述べるだけの行為であり、議会において採択された請願が関係機関に送付されても右機関はその職務執行上請願の趣旨を参考にしなければならないとしてもそれ以上に拘束されることはないのである。従つて本件においては市長は前掲採択された請願の趣旨に添うべく関係法規に則つて請願事項の処理をするだけのことであり、右事項を具体的に処理するについて法規上市議会の議決を必要とする場合には改めてこれを求めなければならないことは勿論であつて、前記条例第五条及び第六条において議会の議決を要する動産の売却若しくは譲渡の契約締結につき予定価格六拾万円又は五拾万円以上の場合には出席議員三分の二以上の同意を得なければならないと規定し、前記予定価格十五万円以上の動産売却契約が議会の普通決議で足りるとしているのと区別していること等からみても明かである。従つて前記請願採択の議決がなされたことを以て直ちに本件公正証書に基く契約につき議決があつたものとは謂えないし、前掲条例の各規定が単に内部関係を規律するに過ぎないとなす何等法律上の根拠がなく他に以上の認定を左右すべき証拠はない。従つて右公正証書に基く契約には市議会の議決がないのであるから右契約は原告の代表者たる市長山本の権限外の行為によるものであると謂うべきである。もつとも前出乙第五号証によれば甲府市議会が昭和二十六年八月三日の定例市議会本会議において本件立木の払下を市議会の同意を得た会社が設立する場合に限り実行できる旨の議決がなされたことは認められるが右議決に謂う会社は未だにその設立をみないこと既に認定したとおりであり、又右議決が被告個人に対する払下を承認したものでないことは謂うまでもないことであつて何れにしても本件公正証書に基く立木の売買契約は議会の議決を必要とするに拘らず右議決を経ていないのであるから、無効であると解しなければならない。

果してそれならば原告は被告に対し本件公正証書に基き本件立木の引渡をなす義務を有しないにもかゝわらず、被告において昭和二十八年二月二十日頃より昭和三十年十月二十一日頃までの間数回に亘り内容証明郵便を以て原告の代表者現市長に対し前記契約の履行を請求していることは成立に争ない甲第一、同第二号証、乙第六、同第七号証の各一、二、同第八号証並びに原告代表者本人尋問の結果により認められるところであるから、原告において右契約に基く本件物件の引渡義務が存在しないことの確認を求めるにつき正当の利益を有するものと謂うことができる。

よつて原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 杉山孝 野口仲治 鳥居光子)

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